刀鍛冶の日々

4月も終わる

 今朝も早出して一人作業。博物館の売店で販売用包丁が無いとの事で、余っていた鋼で包丁製作。午後は玉鋼の周囲に有る、質の落ちる部分を切断していた鋼を夕方迄卸し金にする。室温も50度に達しもう倒れるのではないかと思う程疲れる。いつ倒れても覚悟は出来ている。気温も下がり少し涼しくなったので、松炭40キロを鍛錬用に切って終わる。
 ポストには大高君から一週間前に仮免に合格した便りが有り嬉しかった。残った弟子達は刀造りに取り組んでいるが果たして幾人が刀工として残るか?
 長船町で一度しかない人生を無駄にせず早く独立して、立派な刀を世に残せる様になって欲しい。それが親方への恩返しである。
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雨降り止まず

 昨夜来の大雨は今朝も続き3時に雨音で目覚める。今日一日の予定を立て4時から朝食の6時迄の2時間を金属学の勉強、昔物理や化学で習った事を思い出す。丁度浸炭の事が金属の拡散の章で紹介され、炭素量の低い鋼に炭素を浸み込ませる方法である。炭素原子は鉄の原子より小さいので鉄原子の隙間を通って拡散して鉄の表面を硬化させる事を、河内師匠の目の前で実験して焼入れ迄進めた。師も信じない事を目の前で見せたので信じるしかない。翌日高名な刀工も否定するが科学的に吸炭は証明されている。20年前の事を思い出す。
 午前中はイタリア人2名に通訳の方が来所され、製鉄の歴史と製鉄学を1時間説明、そして古式鍛錬を見学すると昼になる。日本の伝統文化に触れた事にいたく感動して頂き当方も感謝。弟子は其々に自分の作業。私は夕方迄玉鋼の切断。やっと雨も止む。乾燥した大地には恵みの雨であった。

一所懸命

 昨日の疲れも残るが早出して大きく改造された私の包丁を整形し直す。腹立たしい限り。
 7時30分軽トラにて松炭を受け取りに。帰宅後明日スイス2名、イタリア4名の見学が有るので、散らかった鍛冶場の片付けと汚れた土間を洗い流す。掃除も一人前に出来ない弟子だから仕事も出来ないのは当り前である。弟子一人として河内師匠宅で勤まる者はいないといつも言っている。刀鍛冶になるのならその覚悟がいる。私事全てを捨て刀造りに一生懸命にならなければ刀工として絶対に残れない、私事を始めとする本末転倒な考えでは刀造りが趣味の名前ばかりの刀工である。
 毎日刀造りをしていないなら寸暇を惜しんで刀を造らなければならない。本当に何時刀を造るのだろうかと思う。暇が出来たら金が出来たらでは、一生世に残す刀も出来ないし、最低限の技術も身に付かない。刀工試験に合格しても刀鍛冶ではない。刀工が本職でこれで生活が成り立てば本当の刀工である。刀鍛冶の生活を甘く見てはいけない。

炭焼釜見学

 車で1時間半の集落の方々が行政の支援を受けて、毎月150俵程の炭を伝習所の為に焼いて下さる炭焼釜を初めて見学。炭焼釜の中に入り焼けたばかりの炭を手に取る。本日の見学の為40人程が参加して昼には炭で焼き肉。お互いの交流を深めた一日。伝習所が有る限り御付き合いをしたい方々である。この炭が有るから刀が出来る事に感謝。
 帰宅して別の炭焼釜から炭の袋詰めが終った連絡が有り、来週引き取りに行く事にする。使用する以上に炭は貯えが出来て来た。炭の購入路も出来た。後は後世に残る刀を打つのみ。
       
         歌三首
  「温かき   村人達に   炭焼かれ
     残せし太刀を    打ちてし止まん」

  「炭焼きの   話聞き入る 昼下がり
     青葉若葉が     目に染み入りて」

  「この里に   吹く風暑く  夏はきぬ
     我が故郷は     如何に在りしか」

築炉

 午前中は長刀の皮鉄2キロの下鍛え。午後室温45度で中止して明日石原君がたたら製鉄を行なうので炉の修理と塗り直し。
 製鉄で大事なのは築炉の時に空気が侵入しない様にする事である。還元時は木炭で酸素を逃し炭素を吸炭しているのに炉の隙間から酸素が入るのはまずい事。伝習所の炉も古く溶接部分が割れているので溶接をして酸素の出入りを防ぐ。以前の炉は小さく大きな鋼が出来なかったが、兵庫県の真鍋刀匠が大きな炉を紹介してくれたので替えてからもう22年間も使っている。出来た鋼が12キロ位に収まるのでスプリングハンマーで切断出来る大きさである。炉を大きくすれば長時間吹けるので炉の温度も高くなり、砂鉄の歩留りも良いが切断設備が無いので今が限界である。羽口は最近ステンレスで900度の温度に耐える物にしたので、毎週たたら製鉄を行なうが全く傷まず調子が良い。
 本日の雑誌に包丁製作所が紹介される。

金床修理

 炭の火力が有るので沸き具合も良く順調に進むが、スプリングハンマーの金床の調子が悪く午後は谷口君と2人でやっと直す。40年間も打たれ続けた金床は変形して時折修理をしたり、一部新調して働き続けてくれたので一家が成り立ち多くの弟子を育成出来た。旧式であるが大事に使えば長船に残る誰かの役に立つ。
 先日返品のあった包丁をずっと使っているが斬れ味も良く普通に使って問題は無く、今回造り直した包丁も大きなカボチャを真っ二つに切断して、桐のまな板迄切れ込む包丁だが返品を受ける。同時に造った同じ包丁でも片方は良く斬れると喜んで貰えるし、片方は斬れ味が悪いと言う。斬れ味は本人の主観だから致し方ないが後味の悪いものである。

問い合わせ多し

 連休に備えて展示場の衣替え。外人用に富士山の大きな写真や製鉄に関する資料を追加。
 午前中は調子良く長刀の鋼を鍛えるが、午後は気温も上がり無理をせずに明日の為新たに購入した松炭を切る。今年の連休は来場者が多いと思っていた所に見学予約が入り出す。体験予約も多いが4、5月は既に決まっている。本当は直前の予約は準備の都合も有り困るのだが、折角遠くから来るので何とかしたい。半年前迄は弟子が常時7、8人居たので準備は出来たが今は平日谷口君と私だけなので、どうしても私の刀造りの時間を割く事になる。
 もうすぐ親方としての役目も終りになって来たが弟子が独立するにはまだ2,3年は要るので弟子にバトンタッチする迄は頑張りたいものである。思えば独立以来34年間に十指に余る弟子を出したが刀工として残るのは伝習所卒業生の半分位か?  今だ卒業証書を与えた者は無し。

急ぎの仕事

 包丁の製作期日が迫っているので一日4本を急ぎて研ぎ上げる。気になる事が有れば長刀造りに専念出来ないから仕上げたので明日から又鍛錬に入る。
 平田君も今日は降し金。火床の調子が良いので良く纏まっている。谷口君は脇差の火造りであるが何度造っても同じ所で躓いている。2年前弟子3人が続けて2年不合格であっただけに、彼に最高点で合格して欲しいと思っている。刀工試験に合格しても全員が刀工として生活出来ない事は判っているが、やはり最高点を出す弟子が生き残れる可能性は高い。常日頃の刀に対する情熱の深さが高得点となり刀工としての第一歩だと思っている。
 合格している弟子も何年で貯金をし、技術を習得するのかの目的を持って毎日を過ごさなければならない。胸には何時も「敬神憂國」の誠が無ければ民族の魂は守れない。

砂鉄分析

 日本國中の砂鉄分析結果は場所により、Fe60%から最高89%位であり餅鉄もFeは高く残りはケイ素やチタン等であるが、Feの分析結果は低くても何度も何度も選鉱を重ねれば体積当たりの重量は増して来る。昨日も金沢君が良く砂鉄を選鉱していたので歩留り35%の玉鋼が取れている。砂鉄ばかりと思っても選鉱を重ねれば磁力を帯びていない物も多く含まれている。工場で造られた輸入の鉄鉱石粉末赤鉄鋼は見た目は砂鉄に良く似ていて殆どが磁石に付く。
 しかし砂鉄のFeが多い程玉鋼になる率は高いがそうとは言えない物も有る。刀になればFeは98~99%台になるが、炭素量は鍛錬の技術や元の玉鋼の炭素量にもよる。砂鉄の還元剤である木炭の質等も有り砂鉄中の酸素を抜き全重量の30%強が鋼になれば可としなければならない。
 今日は日本海を北上して砂鉄を見る、古代たたら製鉄は山中ばかりでなく浜砂鉄を使って海岸近くでも行われていた。山中の様にかんな流しをしなくても海岸近くで砂鉄を集めれば製鉄が出来たのである。酸化物である砂鉄は場所により酸素濃度が違うのではないかと製鉄時に思う様になる。それは鍛錬時に多く膨れが出る鋼と殆ど出ない鋼の砂鉄が有る事であるが、還元方法によるかも知れない。製鉄が面白く今年は17回もたたら製鉄を行なった。

餅鉄ナイフ焼入れ

昨日の餅鉄を独國より4名の見学者の為に折り返し鍛錬をして、夕方にはナイフの焼入れ。炭素量も高く水温30度、焼入れ温度800度弱にする。4寸程のナイフは送風せずに焼入れ温度に達する迄炭火の中で待った方が全体に温度が揃いやすい。極端に長寸の物や、小寸の物は焼入れが難しい。
 昨日夕方に火床の広さと羽口の高さを変えて置いたので弟子達も使い易かった様である。全員揃った賑やかな一日であった。

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