刀鍛冶の日々

包丁準備

朝町内会でビン、ガラスの回収を終りて伝習所へ、休日なので弟子は火床を使っていないので、8キロの玉鋼を熱して切断し、包丁用の材料に2キロの玉鋼を4個造る。2キロの玉鋼を鍛えて包丁2本になる。

目が痛むのでまだ刀は造れないが、包丁なら一日に2時間程度と目に無理のない範囲で一週間で出来る。注文も有るので包丁造りから目を慣らして行く事にして、明日に備えててこ棒の修理をする。

赤坂鍛錬所引越しの時に玉鋼在庫も少し出てきたので、なんとか一ヶ月の玉鋼使用量は有るのではないかと思う。

今日は昨日の砂鉄集めで疲れていたので、昼よりはテレビを見ながら横たわる。
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早出

見学予約が8月には国内、国外と多く砂鉄の在庫を積み増して置かねばならないので、午前1時出発。懐中電灯を照らして砂鉄を集める。朝7時になるともう暑し、熱中症を心配して切り上げる。

玉鋼の在庫も少なくなり心配であるが、雨が降り気温の下がった日に砂鉄を吹いて鋼を造るとするが、猛暑日が続き当分雨は望めない。

この一週間は2回も早出して砂鉄を集めたので、大変疲れたが見学者の方々が日本刀に関心を持ち文化の復興になればそれで良い。

秋からは弟子も砂鉄が必要となるので、秋の終わり頃迄は砂鉄を集めたい。

見学

今日も猛暑の中県外より見学、古式折り返し鍛錬をして若い高校生も飛び入りで向槌を打つ。恐らく始めての経験であると思う。一生に一回あるかないかの体験で日本の文化を知る事が、日本人の誇りに繋がれば幸いである。

御土産に頂いた柿の葉寿司を弟子達と食し、東吉野村を懐かしむ。ありがとう御座居ました。

今年は見学や体験会の入場者数も多く土、日曜日は汗だくの見学で申し訳ないが、記念になればと思う。

砂鉄採集

午前2時発。夜の中国山地は車の通行もなく、4時30分着。金屋子神社月参りの時に見つけていた砂鉄を磁石で集める。日本海に昇る真紅の太陽は美しかった。連日鍛冶場に居ると目が痛いので今日は砂鉄採集で目を休める。今夜は目も痛まず。

私の目の事で皆様から御心配して頂き深く御礼を申し上げます。早く刀造りに復帰したいが右目の手術の時を思えば、年内には無理かもしれない。眼科医は痛みは治りませんと言ったが、右目の痛みは消えた。又左目の痛みも当初よりは幾分痛みも消えてきた。

世の中科学では解決の出来ない事は多数である。科学で解決出来る事は科学で解決してそれ以上は神仏に誠を祈るしかない。今泉俊光先生は94才迄作刀した事を思えば65才の私はまだ々若い。私に使命があれば生かされるであろう。

一袋20キロの砂鉄を磁石で集めて背負えば背中から冷たい水が流れて心地良い。アイスボックスに入れたスポーツドリンクやコーヒー、御茶を飲みながら熱中症に気を付けて集める。最後は川に飛び込み体に付いた汗と砂を洗い一息する。

今日の採集合計は300キロ、刀が5振りは造れる。愛車も今日走行距離34万キロを超える。砂鉄70トンを運んだ車に感謝。

押型

今日も弟子の火造りを見る。目の焦点が両眼共に5メートル先になったので、近くは見えにくくなり具合悪し。しかし視力が上がり、メガネをかければ欠点が見え注意ばかりしているので、弟子の火造り技術は上がる。

押し型を探して横手のある尺三寸程の鎬造の脇差は全んどない。脇差で姿の良い物はないが、なんとか2振りの押し型を見つけたので、弟子の姿手本が出来る。刀工試験も姿の時代を設定して審査しているのか、又文化庁もどの刀工の作品を基準にしているかが不明である。


やはり求める時代の姿と地金、刃文を設定して試験するべきである。関係者は刀の鑑定に通じているだろうかとも思う事しば々である。

鍛冶場に居るとどうしても火が目に入り痛むので、午後3時は仕事を終える。鍛冶場の温度計は45度と今年最高である。

練習

弟子の仕事が始まる前に、折り返し鍛錬を5回するが、まだ火を見るのは早いようで夜には目が痛む。暑いでの一時間交代で受験生は脇差の火造り練習であるが、指摘点が多すぎる。午後は平田君が刀の火造りを進めるも、問題が多すぎる。

夏の間に火造りを覚えなければ秋よりは自分の炭、鉄を使って刀を造り、来春の7年間の修行を終える事が出来無い。弟子が刀工として独立する技術を持つには、だいたい7年を要し、その後3年間程で応援支援をしてくれる御客さんを持たなければ、刀工を続ける事は出来ない。

侍の居ない時代に侍の必要とする刀を造るのだから大変であるが、若いので体力、気力もあるし昼は刀造り、夜はアルバイトをしてでも頑張らねば刀工にはなれない。

刀工試験に合格しても刀工にならない者や、転職する者のいかに多い事か、国も県も市もどこからも支援はない。自分の工夫と努力が刀工として生き残る道である。

痛むが

今日は仕事休みであったので伝習所では、受験生の火造り練習はしていない。久し振りに自家製玉鋼と日刀保玉鋼を同量に積んで沸かす。全く性質の違う鋼をまとめるのは難しく、わら灰を付けながら鍛接するが、手間取り2時間程でやっと2回折り返すと下地が出来て、同一の鋼が出来る。

赤外線防止のメガネをしていると、目の痛みは少ないが、鋼の沸く色と温度が正確には見えなく鋼の沸く火花を判断してのみの鍛接なので疲れる。

今これ程の仕事が限界である、目がぼやけて痛むが、少しずつ々慣れる以外ない。

参拝、砂鉄

1日の走行500キロを超す、疲れはてる。金屋子神社月参りをすまして、梅雨で砂鉄が多量に流されている。地質分布表では地質の境界付近の砂鉄と思われ、砂鉄の色が非常に違う。産出された場所は特定できないが、秋涼しくなる頃には玉鋼を造ってみたい。


今年始めには日刀保砂鉄と同じ成分の砂鉄を使用して刀にしたが、匂口は数倍も広く、錵も良く付いているが、砂鉄は同じでも吹き方の違いによるのではないかと思われる。又鍛錬方法による違いもあるのではと思う。

中国山地は砂鉄の宝庫である。梅雨から秋の台風が終わる迄は山肌が雨に洗われ、谷川には粒子の大きな砂鉄が多く出る。毎年々山地を歩くと砂鉄の出る場所も覚える。砂鉄は刀の個性を造るものである。砂鉄から刀になる迄は随分と手間が入るが、これなくして刀鍛冶の面白味はない。

この数年全国では、たたら製鉄が多く行われているが、その鋼が鉄製品になって始めてたたら製鉄が成功したと言えるのではないか、やはり砂鉄の歩留まりや分析も必要だし、刀鍛冶であれば刀になる鋼が出来た方が良いと思う。今が砂鉄を集める時期である。

注文

目が良く見えるので弟子の仕事にも厳しく接している。目の痛みが無ければ手直しも出来るが、それでは目の痛みが取れない。こんな時に限ってあちらこちらから製作依頼が入るが、目の痛みがいつ迄続くのか判らないので、急ぐ注文は取れない。

右目の手術後も痛みが続き、病院からも痛みは治りませんと言われたが、最近は痛みも無し、きっと左目の痛みも治るように明日は月参りに出掛ける事とする。拝めばきっと願いは通ずる。

赤坂鍛錬所閉鎖

32年間に渡り、理想の材料を追い求めて、約1000振りの刀を打ち続け、弟子6名を刀工にした赤坂鍛錬所も今日で全ての引越しが終わる。これからは毎日が長船の伝習所に通う事になる。

朝より日差しが強く、弟子達は大汗をかきながら一年間にたたら製鉄で出来たスラグ5トンを運び出す。処理をしながら使えなかった砂鉄や鉄鉱石やスラグを見ては、製鉄の難しさを思う。

この32年間は斬味を求めて、ありとあらゆる材料を使用して、やっと自分の求める美術的と工芸的を兼ねる砂鉄を見つけ出したが、製鉄の技術的な事と採算性の問題も若干は有るので、一生研究は続く。

赤坂での24年間はゆっくりであったが、あとの8年間は長船に伝習所を作ったので弟子も増え、たたら製鉄の研究も多忙となったが、弟子は秋山君、鳴海君、平田君が刀工となり、卒業を間近にしている。

今だ刀工となっていない弟子が6名もいる。まだ々奮闘は続く。

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